

喜多村 誠 とは
高等学校時代に空手を始め、その後大学卒業まで7年間に渡り空手を続ける。高等学校・大学ともに空手の強豪校であり、大学では主将を務めた。
大学卒業後、福岡にてキックボクシングを始める。
福岡でキックボクサーとして活動する傍ら、度々東京にてキックボクシングの試合を観戦・研究し、そのレベルの高さを実感するとともに、東京におけるプロとしてのチャンスの多さを確信して、上京を決意。
上京後、伊原道場に入門。
2005年7月17日、「新日本キックボクシング協会 Departure」にてデビュー。長曽我部雅昭を相手に、2R判定(3-0)にて勝利を収める。
2010年5月16日、「新日本キックボクシング協会 FINAL 武田幸三引退記念興行」にて、ダブルメインイベントとして、初のタイトルマッチを行う。相手は、前年王者となった宮本武勇志(治政館)。5R判定の結果「0-1」のドローとなり、宮本のドロー防衛となった。
2011年5月15日、「新日本キックボクシング協会 BRAVE HEARTS 16」にて、二度目のタイトルマッチ。王者・宮本武勇志を相手に、偶然のバッティングによるドクターストップで、ノーコンテスト(無判定)となる。
2011年10月2日、「新日本キックボクシング協会 MAGNUM 27」にて、三度目のタイトルマッチ。王者・宮本武勇志とは6度目の対戦となった。流血を伴う激しい打ち合いの末、3R 1分43秒、宮本への二度目のドクターチェックの結果、ドクターストップがかかりTKO。タイトル奪取に成功した。
2012年12月26日、我が国のプロスポーツ界の健全な発展、ならびに振興に寄与することを目的として制定されている「内閣総理大臣杯 日本プロスポーツ大賞」において、「2012年度・功労賞」を受賞。
2013年7月21日、「新日本キックボクシング協会 MAGNUM 32」にて、初の防衛戦。前王者の宮本武勇志と対戦予定であったが、宮本の負傷欠場に伴い、日本ミドル級4位の今野 明(市原)との対戦となった。1R、二度のダウンを奪う。3R、顔面前蹴りからのパンチ連打で追い込み、ヒジを混ぜた攻撃に今野は額をカット。残り5秒でドクターストップ。初防衛に成功した。
喜多村誠 公式サイト
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